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ドリフターズ・サマースクール2013 「移動について」篠田千明(演出家/監修講師)

机の上を眺めた。

鍵の束がある。さっき帰ってきてそのまま置きっぱなしにしたものだ。鍵には首から下げる紐がついていて、出かけている時は首に下げていたのを、机に置く時に外してそのまま置いてある。

自分は机の上で寝てしまってそれで目覚めたのだとわかった。

頭の上では扇風機がそのまんま回っている。

いろんなところで寝るので、目が覚めてもすぐに自分がどこにいるかは確定しない。

目の前の景色をただ受け入れている状態だ。

それから一定の時間、ブランクのなかで景色から記憶が再生され、自分が今いる場所が特定される。

この時に自分の体の中におこる、めまいのような方向転換がとても好きだ。

 

私がなぜ移動するのかと言えば、留まるのに理由が必要になったから。

きっかけは行ってみたい場所がある、だったけど、どこにいっても同じだった。

だから今は違うところに行く、よりも理由があるところに行く、という感じ。

バンコクのベランダから見える景色と東京のベランダから見える景色はもちろん違う。

だけど同じように生活のリズムがあり、遠くで近くで会話が聞こえ、夕暮れがくる。

その違いと同じリズムを感じて、何を自分にもたらしたいのか?

 

拡張し続ける行動範囲と同時に、戻る定点としての生活空間も拡張し続ける

縦軸横軸とも広がり続ける

移動は、定点であることとベクトルをもつこと、これらが同時に成立している状況

無限の生の選択肢を有限の自分の時間軸に織り込む事

 

移動は、価値観の差を受け取る事を常に自分に強いる。

自分の属する事柄と違う無数の事柄、いったいいくつの価値観をうけいれるか、を試し続けることだ。

価値観は、人一人ごとの単位でもあるし、風景のもつ強さが無限にあることでもあるし、その価値観によって出来事を理由づけをすることは重要だし、それがないと私は何も出来ない。

 

バンコクに家を移動して一年経って、思い出したのだ。そういえば夏が嫌いだった。

21ぐらいまで好きな季節は春しかなかった。桜が咲くのが年間のハイライトで、後は遠ざかっていくか近づいてくるかでテンションが変わってくる。

そのあたりで体力がついたのか夏に遊べるようになって、やっぱり半袖は気持ちいいし、あともう一つ大きかったのが、当時学童保育で働いていて、子供と夏休みを過ごしたのも、だいぶイメージアップになって、夏が好きになった。

その後はたしか25ぐらいか、友達の映画に出た時に、秋が好きになった。映像になった自分の現実を、リハーサルで返しながら見ていて、光が力を失っていく段階が日ごとに見えた。監督が秋が好きだ、と言った時はまったく理解できなかったのが、それ以来秋の楽しみ方がわかった。

それで冬は、これが、元々は好きでもなかったけど、嫌いじゃなかった。どんなに寒くても、冬はもうすぐ春がくるしるしだから、寒くて無理すぎてもそれなりに楽しみを持てた。霜柱をふんだり、雪が降ってきたり、息が白かったり、アトラクションに満ちていた。

 

ところが、27あたりで夏秋にヨーロッパに移動し始めて、冬が寒すぎてびびったのだ。ベルリンの8月の終わりは下手するとすげー寒い。9月の半ば過ぎたらまじ寒い。スウェーデン人が半袖で夜歩いてて尊敬した。ホームレスが犬をいっぱい飼ってるのは寒くないからだろうな、このまま外で寝たら死ぬ温度になりそうだな、と感じた。

そのタイミングでバンコクに移動を始めて、冬から夏へ、ジャンプした時の安堵感がすごかった。そして、9、10月のバンコクは今にして思えば涼しかったのだ。

バンコクの夏は4月と5月、このほんとの暑さを体験したのは29のときで、二回体験した今は経験として刻まれていて、この3月頃の暑くなってきたきた感が、ヨーロッパの冬におびえたように、恐怖体験的に思い出される。バンコクの夏はまじ暑い。くそ暑い。昼間に外にいたら毎日死を感じるぐらい暑い。

それで、夏にいいイメージあったけど、そういえば、と思い出した。

 

だからといって、冬に行きたいとは思わない。去年の冬は日本にいて、それでわかったんだけど、私にとって春のこない冬はただ寒いだけだ。この先に桜が咲かない、自分がその季節にはここにはいないと知って過ごした冬は、本当に無味乾燥な、拷問のような季節だった。二年連続で花見が出来ない事でものすごいフラストレーションがたまる。解消しきれてない感じがずっと残る。

けれどここに上書きされたのがタイの夏だ。4月はタイの旧正月で学校は夏休み期間にはいる。4月の半ばには水掛け祭りがあってこれは日本のお盆と正月がいっぺんにきたようなかんじで、国全体的に休みモードになる。暑いから。

そして水をかけまくる。誰にどこで水をかけても無礼講、バスの中にも外からバケツでとばしてくる。スーパーマーケットでもちびっこが水鉄砲でかけてくる。ヤンキーがハイラックスの後ろにポリバケツで水を汲んで街中にかけまくる。

同じ土地で二回同じ季節を経験すると、それはそれとして自分の中のリズムになる。

 

国をまたぐ移動を始めて一年と季節が切り離された。

12ヶ月の上にゆるく枠組みしていた季節がなくなり、全体としてリズムがほしければ、自分で決めなければならない。あくまで花見を優先するのなら4月には日本にいなくちゃならない、とか。

一年のリズムは自分のテンションを保つのに必要だ。季節から受け取るのではなく、自分がどの土地にいるかわかっておかないと、ぼおっとしてうちに一年が過ぎてしまう。

 

移動、といえば、旅行添乗員をやっていた時は、その真逆で、季節が土地を決めていた。2月の上旬は水戸の偕楽園で梅を見るし、下旬になれば長瀞の蝋梅、伊豆の河津桜、同じ桜でも都内が過ぎた五月あたりから北上して長野の高遠、福島の三春滝桜、角館、弘前城とのぼって、北海道まで行く。

八月には立山黒部アルペンルート二泊三日を週に二回行くし、ある学区の修学旅行シーズンであればやたらそば打ちに諏訪湖に行く。温泉ツアーであっても季節のハイライトにあわせて場所が変わる。温泉であることを銘打ってても、やっぱり、食べて泊まって買い物だけだとなんか物足りないのだ。

 

お客さんと集合していくツアーだけじゃなく、たんにバスで迎えにいくこともあった。朝の六時ぐらいに上野や品川とかのでっかい駅にバスがいて、それにのりこんでどっかのプリンスホテルや帝国ホテルまでいく。早起きが苦手で半分ねながら動くのになれると、歩きながら寝れるようになった。実際うごいてても自分の中では寝ている状態になってるから、電車乗り換えてバスに乗って運転手さんと話すのも意識がきれてる。

そのまま後ろの座席で本格的に寝なおして、目が覚めると座席の赤い柄が見えて、体を起こすと知らない土地にいる、その場所を確認できるまでは、しばらくテレポートしたみたいな感覚になった。

実際の移動距離と自分の意識でたってるピンのずれ、その振り幅がおおきければおおきいほど強いめまいがある。

今でも移動初日が好きだ。なるべく飛行機は寝て過ごして、起きて違う国につくようにすると内側は同じリズムで、外だけ違う、それが少しづつ自分のピンが動いてぶれがなくなり着地する。定点から定点へ、実際の移動している時間よりも内側のずれはもうすこし大きく、その差がなくなった時に土地の移動は完了する。

 

 

私にとっての移動は、ある一点から一点へ、座標が移ることではない。
びゅんびゅんごまを垂直にしてまわすのをイメージしてもらって、ぐーん、ぐーん、とリズミカルにまわっている時の力の係数のことだ。
強くまわすために力強くまわす、ということでもない。あくまでバランスを保ちながら、係数を少しづつ調整してまわす。
人のGPSと土地のGPS、実際の場所性から切り離されても、もともとはつながっているものだから、その二つはふたつの盤となって、お互いにジャイロ効果を及ぼし合っている。
移動から生まれる物語は、その係数の閾値から生み出されてくるものとなる。

 

例えばそのびゅんびゅんごまをまわすのが、ガチムチマッチョなゲイのカップルだった場合、上は口で、下はおしりでホールドし、強めのワイヤーでギザギザのノコギリをまわして一生懸命大根を切る、という物語が生まれる。
蟻が二匹、地上と巣穴に分かれて、せえの、でまわしたコマがおこすちいさな風は、産気づいて「あつい、あつい、」という女王蟻の部屋に届けられた。

 

となれば、誰に会うか、どこに行くか、の次はどのような物語をみたいのか、を決めなければならない。
今回のサマースクールに参加する受講者は、何を見たいのか、に対して意識的であってほしい。
私たちが二つのコマの盤を今回どうやってまわしたいのか、どういう力をかけて人と土地のGPSをずらしてはバランスをとるのか。その力の係数を決めるとこからはじめようよね、夏だしね♪

 

 

 

篠田千明(演出家・作家)
1982年東京生まれ。2004年多摩美術大学在学中に小指値(koyubichi)を同級生と結成。2008年から快快(faifai)に改名し、中心メンバーとして主に演出と脚本と夜遊びと雰囲気を担当。スイスの国際演劇祭チューリヒ・シアター・スペクタクルにて、『My name is I LOVE YOU』で新人アーティストに贈られる『ZKB PatronagePrize』を受賞。個人の活動としては、2009年「キレなかった14才♥りたーんず」の企画/脚本・演出やパーティーオーガナイズ、we dance2011のディレクションなど。2012年9月快快を退団し独自の活動を開始。バンコク在住。