『5人の建築家と5人の表現者による対話実験』の裏側
―まず、おふたりの出会いを教えてください。
藤原(以下F):僕が隈研吾さんの事務所にいた頃にさかのぼります。あるプロジェクトのコンペチームにアートプロデュースとして和多利さんに参加をお願いに隈さんと来たのが最初の出会いです。それから、2007年の2月から5月までワタリウム美術館で開催されていた『ブルーノ・タウト展 アルプス建築から桂離宮へ』の関連イベントのバスツアーで『タウトが遺した「日向邸」』と隈事務所の設計した「水/ガラス』という建築を熱海に見に行く企画があったのですが、その見学会で何やら意気投合したという記憶があります。
和多利(以下W):私の姉(※ワタリウム美術館館長の和多利恵津子さん)藤原さんにベタ惚れして、「あの人に今度、頼もう」と言い始めたんです。それで、2007年の10月から翌年の2月まで開催した『クマグスの森 南方熊楠の見た夢』展の会場デザインを藤原さんにお願いしました。
F:急に恵津子さんから電話がかかってきて、「南方熊楠に興味ありますか?」と聞かれて「ものすごくファンです」と即答したら「熊楠展で、映像を写すための空間を作りたくて、相談に乗って欲しい。隈さんではなく、藤原さんと学生でやってほしい」と言われて「いいですよ」と。あれが出来たのは本当に奇跡でした。というのも、2007年は、振り返ると隈事務所に勤めていた時代で一番忙しい年でした。4年間ずっと熱中して勝てなかった海外コンペに同時に3つ勝って、国内プロジェクトも3つくらい抱えて、中国のプロジェクトもやり始めてて、それでさらに熊楠展もやっていたわけだから、いあや、よくできたな。(笑)
W:あの会場は本当に藤原さんと学生たちのマンパワーで作った感じでしたね。『「磯崎新 12×5=60」展』もそうだけど、いわゆる展示する作品が少ない作家っているんですよ。熊楠も、世間的評価としてはアーティストかどうかも微妙ですし、遺っている作品が少なかったんです。そういう時は、建築の力を借りることが多くて、「こういうものをどう見せるか」の段階から藤原さんに入ってもらいます。藤原さんはワタリウムの建物構造と空間をよく分かってくれているので、見せ場なども、ほとんどツーカーで決まっていく事が多いのです。
―今回は『5人の建築家と5人の表現者による対話実験』ですが、前回は『15人の建築家と15人の表現者による対話実験』でした。
F:前回このシリーズを開催したのは2009年の『ルイス・バラガン邸をたずねる』展の時ですね。フラッとワタリウムに立ち寄った時に、「SANAAが会場構成をする」と聞いて「それはめちゃ面白いですね」と和多利さんと雑談していたんですが、「若い学生が来てくれるかどうか不安」とおっしゃっていて。
W:ワタリウム美術館は、それまで隈さんより年上の方としか仕事をしていなかったんです。それ以降の若い人、藤原さん世代の建築家を僕たちも知らなかった。だから、その世代の人たちに向けた企画を何かをやろうと藤原さんと話したんです。
F:最初は若い人に向けたインパクトのある建築のシンポジウムをと相談されました。でも、建築家同士のシンポジウムは、大嫌いで。(笑)。なんとなくお互い言うことが分かっていて、ある程度で落とし所を見つけて、新しい思考も発見もない茶番で終わってしまうことが往々なので。せっかく若い世代に期待してくれて、ワタリウムでやるんだから、シンポジウムとは別の何かをやりたいと思ったんですよ。そうしたら、ある時急にむしろ週刊誌みたいに毎週マラソンのようにやったらいいんじゃないか。会いたい人と会わせたい人を掛け合わせたら、今の日本の地図がかけるんじゃないかと思いついて、一晩で企画と人の候補がずらっときまっちゃった。
W:ワタリウム美術館のスタッフ皆すごくびっくりでした。シンポジウムを2~3回やるのかなと思って企画書を見たら、15回もやるし、ほとんどの建築家を僕らが知らなかった。でも、藤原さんが「これしかないですから」と行って企画を持ってきたので、「僕らもどういう風になるか見たいから、やってみましょう」となったんです。やってみたら、毎回登壇者の方に会って「最近の建築界にはこんな人がいるんだ」と面白かった。この建物は、事務所にいてもマイクの声は聞こえる仕組みになっているので、普段のトークイベントでは僕は会場にいないことも多いんですが、このシリーズは、必ず毎回会場にいます。とくに、藤本壮介さんはびっくりしました。建築家らしくないような風貌で、不思議な人ですよ。さらに、作るものとキャラクターが全く離れているのも面白かったのです。
F:明るくて、あっけらかんとした人ですよね。
W:なのに、建築物は大胆。そのギャップが面白いです。
F: Chim↑Pomと話せるのは藤本さんしかいないと思いました。
W: 私もちょうどその頃、Chim↑Pomに興味を持っていて「展覧会をやりたいな」と考えていて、実際、2年後の2012年に彼らの個展をやりました。他にも、この「15×15」で出会って会場構成をお願いした方などもいますし、こう考えると、このトークシリーズはワタリウムの若返りのエンジンになっていました。
F:あ、あと実はこのトークシリーズがきっかけで、僕がドリフターズ・インターナショナルに参加することが決まったようなものです。チェルフィッチュの岡田利規さんを呼びたくて、金森さんに「岡田さんと知り合いの人、知らない?」と聞いたら「岡田さんのマネジメントをしている中村さんがとても面白い人で、ちょうど、藤原さんに紹介しようと思ってた」と言われたんです。それで、僕から中村さんに「岡田さんをマネジメントしていると聞きました。今後、若手の建築家とアーティストの対談を通じて、世界に向けたビジョンを作りたいという趣旨のトークを企画しています」というようなメールをしたら「めっちゃ共感する。必ず説得して岡田に参加させます」というような返信が速攻来たんですよ。
―ものすごいスピード感で企画が進んだんですね。登壇者の選出や、藤原さんは司会としてのご苦労もあるのではないでしょうか。
F:マッチングするときには、いつも最初は警戒されていると思います(笑)。何しろ対話の相手は、初対面だし、「実験」って書いてあるから、そりゃね。
W:往々にして、建築家は真面目。アーティストは、基本、ラディカルな人が多いですから、お互いにいい刺激になったと思いますよ。それにしても、会話のさじ加減は難しいですね。知らない者同士の話のどこをつまむか。本当に、よくやってるなと思いますよ。
F:もう毎回、緊迫感しかないです。2009年の時は、ほぼ毎週トークがありましたから、へとへとでした。僕が興味あるのは、「それぞれの表現者や建築家が、次、考えようとしているのは何か」なので、それをひきだすためのボールをぶつけるんですが、きわどいとこに投げないと面白くないので、かなり集中して話を聞くし、考える。ボールがドンピシャで当たる時も、当たらない時もありますが、当たらないなりの発見というのもあります。なにしろこのシリーズで、僕が一番学んでいると思います。
―今回の『5人の建築家と5人の表現者による対話実験』を振り返って、印象に残っている回は?
W:作家の朝吹真理子さんと西沢立衞さんがすごかったですね。お互いの作品の映像やプレゼンを見て、だんだん引き込まれていきました。
F:あれは、僕もすごく手応えがありました。お互いが対話を進めていく中で、どんどん言葉に集中して、さらに相手の言葉を信頼していく感じが伝わってきました。対話実験をしていて面白いのは、最初は初対面で相手を全然知らないのに、あるタイミングから信頼関係のある応答が生まれるところなのですが・・・朝吹さんにしろ、西沢さんにしろ、すごく強度の“言葉”を持っている方が応答し始めて、すごく手ごたえたありました。やはり“対話実験”なので、作品の強度だけでなく、言葉の強度、言葉への興味というのも重要なんだなと再確認できました。
W: 僕は、西沢さんの建物を見たこともあるし、朝吹さんともお話したことがありますが、その2人を組み合わせることが、全然ピンと来なかった。だからびっくりの選択でした。そして、想像の3倍くらいすごかった。ドンピシャだったね。絶対にあわなそうなのに、ぴったりあったのが心地よかったし、あの2人による何か新しいプロジェクトが5年以内に見られるだろうと感じました。
F: 西沢さんと朝吹さんの組み合わせは前から思いついていて、絶対やりたかったんです。2人の個性というか精神性を深く理解していないと組み合わせが思いつかないだろうから、これは、はっきり言って僕しかできなかった企画だと思って自慢しています。(笑)
―今日はありがとうございました。今度、このトークシリーズが開催されるのはいつごろでしょう?
W:ワタリウムで建築展をやる度に「またやりましょう」と言っていますが、登壇するメンツも育ってきてないといけないから、5年、10年ごとにやらないといけない企画だと思っています。
F:次やるとしたら、オリンピックのあとがいいですね。2020年までに東京はすごく変わるだろうし、次の表現、次の東京に向けて考え始めている人がたくさん出てきていると思いますから。
『5人の建築家と5人の表現者による対話実験』についてはこちらをご覧ください。
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1992年生まれ 後楽園⇔神楽坂他 ドリフターズ・マガジン編集長