1. top
  2. > magazine top
  3. > スペシャル
  4. > 漂流する映画館”Cinema de Nomad”『5windows』トーク

漂流する映画館”Cinema de Nomad”『5windows』トーク

10月23日から27日まで行われた黄金町での漂流する映画館”Cinema de Nomad”『5windows』再演。今回は、23日に行われたオープントークの様子をお届けする。内容は撮影秘話から、日本と海外での作品の受け止められ方の違いまで、話題は広がった。
 

 

 

 

 

 

 

 

藤原:よろしくお願いします。今日の登壇者は『5windows』監督の瀬田なつきさん、この『5windows』の配給をしているboidの樋口泰人さん、それからなんと飛び入りで、『5windows』に出演された俳優の染谷将太さん。司会は私、藤原です。私は街を映画館にするというこの企画全体のディレクションを担当しました。

まず、瀬田監督は、久々にこの作品を黄金町で見たと思うんですが、何か思い出したことがありますか?

 

瀬田:2年前に撮影した作品なので黄金町自体も作品も懐かしいですね。中村さんと一緒に見てまわったのですが、映画と時間が街とシンクロしたりズレたりして、変な感覚で、暑くて撮影も大変だったことや、反省点とか、いろいろ思い出しました。ほかの街での上映も見てきましたが、2年後のこの街で見る、それとは別の作品になっているような感じがしました。

 

左から、瀬田なつきさん、樋口泰人さん、染谷将太さん

 

藤原:樋口さんは吉祥寺や渋谷でもこの作品を野外上映されたことがありますね。2年前もこちらでご覧になったんでしょうか?

 

樋口: 2年前、見なくてはと思いつつ、忙しくて全く来れなくて、悔しかったんです。その時は、まさか横浜で再上映されるとは思っていなかったので、「自分でやっちゃえ」と思い、まずは吉祥寺、その流れで渋谷でもやりました。

今日の上映装置はシンプルな設定で、俺たちが渋谷や吉祥寺でやったのと近いですね。黄金町での初演は、見る装置自体が凝っていて、映画を見ているのか、何を見ているのかわからない感覚だなと写真で見たとき思いました。屋外上映と言いつつ、設定された空間の中に入って、その中で屋外で撮られた抜けのいい風景を見るという、自分のいる街と、ある閉ざされた上映装置の中にいて、でも見ているものはとても開かれたものである、という3つの要素が交錯している感じが、すごい面白かったです。

 

でも自分が吉祥寺などでやったのは、会場も撮影された場所ではないので、黄金町で見る閉ざされた状況とは違う感じにできたらと、シンプルにビルの壁に写したり、列車の高架からスクリーンを垂らしたりしました。

それで、それが上映されている街と映画の撮影された空間が混ざり合う感じになって、あるスクリーンから他のスクリーンに移動するときも、本当の街を歩いているのか、映画の中の街を歩いているのか、わかんなくなる感覚に陥る。しかも、俳優の斉藤陽一郎くんと染谷くんも見に来てくれていて、ふと横をみると染谷くんが歩いている。そんな現実でもあり映画の中でもあるような空間が目の前に広がって、それがとても面白かった。

 

でも3回やったのに2回は大雨で・・・。

その後、俺が雨男じゃなくて、瀬田さんが雨女ということが判明したんですが(笑)、山口のYCAMが作った『5windows mountain mouth』が6月に始まって、皆で見に行ったら、それまで晴れていたのに、俺たちが外に出ようとしたら雷がなって土砂降りになったり。『5windows』自体が嵐を呼ぶ作品なんですね。

 

渋谷での上映。東急本店屋上にて。

 

吉祥寺での上映。

 

瀬田:『5windows』の撮影のときも、すごい豪雨があったんです。撮影の2日目が土砂降りで、撮影を延期しました。そのため、ストーリーを横断シーンがほとんどが撮れなくなってしまったんです。スケジュール担当の横浜国立大学の学生が困り果てて、「瀬田さん、これから明日までに話がまとまるようにシナリオ書き直してください」ってなって、予定したものとは少し違うシナリオになりました。

 

藤原:染谷さんもシナリオとは全く違う作品を見た、という感じだったんですか?

 

染谷:シナリオを読んだ時から、解読が本当に難しくて、撮影時は、本当に何が起きているか、どうなっているのか全くわからないままやっていました。

 

藤原:ともかく自転車をこいでくれ、とか。そんな感じですか。(笑)

 

染谷:そんな感じでしたね。でも瀬田さんの言う通りに動けば良いだろうと思って、その通りにしていました。

 

今回の上映の様子。

 

藤原:瀬田さん、『5windows mountain mouth』にチェルフィッチュ等の演劇によく出演している女優の青柳さんが出ていて、先ほど聞いたら瀬田さんはチェルフィッチュやマームとジプシーなどの演劇が実は大好きだという話があって。映画の中における移動もダンスの振り付け的にやられているのか、とふと思ったんですがそのあたりいかがでしょうか。

 

瀬田:藤原さんから「舞台は川沿いで」という話をいただいてロケハンして、黄金橋をメインに作ったらいいかな、と思いました。あとは、ストーリーを5つほどのスクリーンに写すという話で、いろんな角度から橋を見られたら面白いかな、と思って。1人は橋にたどりつく、1人は橋を上から見下ろす、1人が通過して記録に残そうとする、という形で考えていきました。

 

藤原:今日、改めて見ていると瀬田さんがチェルフィッチュを好きだというのはなるほどと思ったんです。午後2時50分というのを、いろんな角度と尺の長さで見せていくという形がキュビスムっぽいですよね。

岡田利規さんから自分の作品は海外でキュビスムっぽいといわれることがあるとおっしゃっていました。確かに同じセリフを何度も繰り返したり、複数の時制を同一フレームに描くというのは西洋の文脈で言うとキュビスムだと言われれば確かにそうで、そのあたりは瀬田さんはどう考えていますか?瀬田さんの作品は時制がいつでも揺蕩っていて、今なのか、過去なのか、未来なのか曖昧な面白さがあります。

 

瀬田:キュビスムに関しては言われたこともないですね。 時制についてはよく言われますが。レイヤーのように時間軸やイメージを重ねられるのが、映像だったらできるのかな、と。そういう時間を作り出せたらいいなと思っています。

 

藤原:そのような瀬田さんの特徴について、樋口さんや染谷さんはどう受け止めていらっしゃいますか?

 

樋口:我々が生きている現在というものは、過去と未来とが折り重なってできていると考えています。もしくは現在というのがいくつもの層によって出来ていると。ただ映画のフィルムは1枚なので、現在という時制を作り上げるいくつかのそのレイヤーの内のひとつを取り出してみせることしかできない。だから今までの映画はそんなひとつのレイヤーの時間軸に流れて進んでいくっていう見せ方だったんですが、瀬田さんの映画は今ここを作っているすべてのレイヤーを貫く時間を持っている。例えばフィルムというのはグルグルと巻かれてバームクーヘンのような形で保管されていて、それがひとコマずつ先に送られて直線的な時間の流れを作り出しているわけなんだけど、瀬田さんの場合はフィルムの巻物の表面から中心に向かって串刺しにする、玉ねぎの串焼きの芯棒が語る時間と言ったらいいか、幾重にも巻かれた時間の層を串刺しにした時間が見えてくるそんな時間の地層が語る物語ではないか、と思っています。『5windows』の場合は、瀬田さんの他の作品と比べても素直にそんな時間の層が出てきているのではないかと思います。

 

染谷:映画って時間を扱った媒体です。その中でも瀬田さんの時間の扱い方って、素直なようで素直じゃないですよね。『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』という映画で初めてご一緒したんですが、その時も、現在があって、もうひとつ現在があって、かと思ったらその現在は過去のことで、現在と過去が同じ空間にあって、場が歪んでくるんです。

それだから映画って面白いんですけど、その歪ませ方がすごい映像的だなと思うんです。

瀬田さんのキャラクターからして、それを天然でやっている感じ、ナチュラルにやってしまっている感じがしています。

 

藤原:瀬田さんはどこまで計算しているんでしょうか?物語の中のどの時制にいるのかって、演じる人にとっては重要なことだと思うんです。

 

瀬田:役者には、いつも細かく全体像や設定などは説明しないですね。あまり、聞かれないのもあるんですけど・・・。聞かれたら頑張って答えます。

 

 

藤原:この前、樋口さんから『5windows』が外国人に理解してもらうことが困難であると話があって、それは面白い話だなと思いました。

 

樋口:なんでか海外の映画祭に受けが悪くて、腹立たしいです。「これが日本の新しい映画である、これから映画がやるべき語り口である」と思い、いろいろと海外の映画祭に出したです。でも、反応がよくない。あまり日本的な感じがしないのか、あるいは、翻訳された言葉を追ってしまい、その言葉を頭で理解しようとしているだけなのか。とにかく、この映画のリズム、風景、表情、言葉、音楽のアンサンブルとそれらが作り出す時間の重なり合いが全く伝わっていない感じを受けるんです。そこが本当にもどかしい。

「これが、あなたたちがやっていることよりも面白いんじゃないの」と言いたいんだけど、うまく説明する言葉を持たないといけないのかな。悔しいです。

 

藤原:染谷さんはベネツィア映画祭で賞を取られて、肌感覚として日本と海外のリアクションの違いを感じているのではと思うんですけど。瀬田さんの映画がまだ外国人に面白さが伝わりきれていないということについてはどう思われますか?

 

染谷:僕は日本人なので、一生なぜ海外の人が分からないのか、分からないですね。

瀬田さんと『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』をニューヨークの映画祭にもって行ったとき、現地の人と見たんですけど「ここで笑うんだ」とかリアクションの違いが新鮮でもあり、分からないことでもあり。30年くらいNYに住まないと分からない感覚なんじゃないかと思います。

日本人が作って、日本人に受け入れられるんなら、それでまず大成功なので、いいのでは。

 

藤原:日本人にしか作れない映画というのは実はすごいことだと思います。映画ってインターナショナルな技術であり文化だけど、日本人にしかつくれない作品になっている。それが日本映画だと誇らしい気がします。

 

樋口:僕もそう思います。

 

瀬田:自分にしか作れない、自分が面白いと思うものを信じて作っていきたいです。言うのは簡単ですが…。

 

 

藤原:会場のみなさんからは、何か質問はありますか?

 

お客さん:企画自体についてお聞きしたいです。黄金町が舞台になった理由は何かあったのでしょうか?

 

藤原:僕と瀬田さんの共通の恩師である映画評論家の梅本洋一さんという方がいるのですが、梅本さんがよくフランスのヌーヴェルバーグという映画運動は、「自分たちの街を映画に撮る」という生生しい衝動なのだと熱っぽく言っていたんですね。

もともと、この黄金町界隈は日本有数の映画の街だったんです。単館の映画館が60館くらいあって、僕が子供の時でも10個位残っていました。今は一つだけになってしまった。最近は、黄金町はアートで街おこしをやってはいたんですけど、映画で何かをやりたいとずっと考えていました。

ちょうど、2011年の横浜トリエンナーレにあわせて、その応援企画『港のスペクタクル』をNPO法人ドリフターズ・インターナショナルで企画していた中で、映画を街で新しく取り、その映画を上映するように街を映画館に変えられたらと思って、瀬田さんに相談したんです。それが全ての始まりです。自分たちの街を映画に撮る。自分たちの街を映画館にする。という単純な思いが根底にあります。

 

お客さん:街中でやるということで、周りの家に迷惑かけちゃいけないとかあったと思うんですが、そのあたりはどう乗り越えたんですか。

 

藤原:駆け出しの建築家や学生とタッグを組んで空間設計の前にリサーチしてもらいました。商店街の人にも協力してもらって徹底的に調べました。あとはひたすら実験です。エネルギーに溢れた若い人たちでないとやれない企画だと思います。

ただ2年前にもやった場所なので、今回は商店街の人たちはかなり好意的で、街の仕組みをハッキングして映画館に変えていくということが上手くできたと思います。19時よりも前の回を見た人は商店街のスピーカーから映画の音が流れているのを体験できたはずです。

 

お客さん:瀬田さんに質問です。こういった企画を持ち込まれたときに、どういうことを重点的に出そうと考えられたんですか?

 

瀬田:映画館って遮断された空間だけど、街は人も通るし、音もするので、台詞で物語を語るのは無理だと思いました。なので、歩いている中で何が写っていたら面白いかを重点的に考えました。行動を眺める、窓を眺める、街の音とかフレームの外のものが中と溶け込んで、混ざり合っていくようなのだった面白くなるかなと思いました。

 

藤原:最後に瀬田さん、次回作は?

 

瀬田:今は構想中です。時間ある場所の時間と空間をずらしたり反復させたりして、ある瞬間がどんどん拡張していくドラマのようなものを考えています。

 

藤原:それでは、今日のトークはここで終了です。ありがとうございました。

 

writer profile

金七 恵 (きんしち めぐみ)
1992年生まれ 後楽園⇔神楽坂他 ドリフターズ・マガジン編集長