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ドリフターズ・サマースクール2013プレ・レクチャー 第2回レポート(後半)

6月2日に行われたプレ・レクチャーの後半。奥田染工場 代表の奥田博伸さんの考える工場の姿から、今後、表現領域を目指す若者はどのような視点を持たなければならないのか、までダイナミックに話が展開していった。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<奥田さんについて>

金森:そろそろ、奥田さんのことを聞きたいです。

 

奥田:普段、僕は、デザイナーさんが服を作るとき、商品になるもののプリントをする工場をやっています。

こういう工場は八王子には結構あって、全国見てもすごい量があります。

僕は、仕事を受け継いだ時に、工場が、単なる消費される生産の場ではなくて、もっといろんな感動を込められるようなモノづくりの場になりたいという思いがあったんです。

こういう量産工場は、最低ロット200mから受けるとか、大量に受けて、切るというのが通常のやり方なんだけど、逆に、それを消化しつつも、変化はないかな、もっとおもしろい場になれないかなと考えたんですね。

極論からいれば、ただのプリント工場なんだけど、「なんかおもしろいことないかな」と、デザイナーとものを作る喜びを共感したいんです。さっき、うんさんが、ものに込められている気のエネルギーって言ってたけど、僕もそれを毎日感じていて、楽しく作っていると生地が笑ってくれるとか、イライラした時に作ると、その気が移ったりするんです。ものって作り手の気持ち、関わる人たちの気持ちが層になっていくんです。その層の一端を担う身としては、受け取ってくれた人が喜んでくれる一端を担いたいという気持ちがあるんです。うちは変わりもので、普通の工場とは論理が違うんですね。

 

飛田:瞬間の反対語の継続って僕らにとってもすごい使命なんだよね。やっぱり、体を動かして最終的なアウトプットはひとりだし、後ろに見えないスタッフはいるけど、信頼できるスタッフとやっているか、工場、デザイナー、売ってくれる人、お客さんの誰か一人が「うーん」と思っていると売れないの。本当に不思議。

僕もいろんな工場とやっているんだけど、工場ってスペシャルな完成を目指してくれるから、こちらの言うことがノイズに聞こえちゃうこともあるんです。

そこにどちらも分かってくれる人が間に入ってくれることもある。だけど、僕からすれば、仲介無しに工場と話したいんです。だから奥田くんのやっていることは、デザイナーからしてみれば、実は非常に、素晴らしいんですよね。間に入った人が無理ですよって言うところを、奥田くんが「1回、工場に来てみれば?」って言ってくれたり・・・。

 

奥田:そこなんですよ。僕がこういう考えになったきっかけは、たまたま他の工場の仕事を見ていて、デザイナーが喜んでないと思ったことだったんです。

なぜなら、工場側は、デザイナーは何もわかってないよと言い、デザイナーも工場は何もわかってないって言って、お互いに乖離していたんです。

デザイナーと交流していく中で、こういうやり方は、違うなって思ったんですよ。技術があるんだよってことじゃなくて、デザイナーが何を思っているのか感じ取るのが大切なことだと思ったんです。そこってクオリティを上げるには一番重要なことなんですね。

ファッションの作り方を見ていると、いろんなフィルターを通って、無難なところに帰着しちゃう、フィルターを通るごとに生命力が薄まっていく、無難になっていくと感じました。目の前で作られるものを見て、デザインや布がすごいかわいそうだなって思ったんです。

それで、布をイキイキさせるために大事なことって、何だろうと思って本当にデザイナーの言っていることを理解して、これだったら喜んでもらえるだろうっていうことを提案していくという、今の考えに至ったんです。

 

飛田:僕が店に立って洋服を売ることは、修行が足りなくて出来ないんです。お店の後ろで見ていると、ショップスタッフってすごいなって思います。「いいお天気ですね」って会話したり、嫌なことがあっても、顔に出せない。直接お客さんから、洋服を買ってもらうし、表面だけじゃ出来ないことです。本当に「餅は餅屋」で、それが連動して出来ていくんですね。その川上の方の洋服を作る段階で、ストレスがあると売る人にも分かるし、お客さんにも分かると思うんです。

 

話は変わりますけど、うんさんの場合、パフォーマンスとか、売上とか気にするの?

 

山田:売上?

 

飛田:収支とか。今言った、売れていくサイクルとかって、演劇の現場ではどうなのかな?と思って。

 

 

<環境と創造>

 

山田:赤字が続いたらダンスは続けていけないから絶対、タブーですけど、全く儲からないです。当たり前だけど、作品を作るだけじゃなくて、作品を作るための体をキープするには、バレエのレッスン受けたり、ヨガをやったり、マッサージを受けたりして磨き続けていかなきゃいけないわけです。そのためには、ものすごいお金がかかります。それが私だけじゃなくて、ダンサーが10何人とかいて、もちろんスタッフもいて、全員が健康体で舞台に上がるのは奇跡に近いです。カンパニーは始めて10年ですけど、本当、貧乏ですね。

もちろんパフォーマンスの世界中にマーケットはあります。1番上手くいっているのはヨーロッパですね。日本は、マーケットはあんまり無いけど、個人で活躍する人は多いですね。だけど、そのマーケットを無視は出来ない。マーケットの外だけでは自分の声は伝わないと思う時もあるんですね。今って自分の声が、すごい伝わらないと思っちゃう時代じゃないですか。自分の担当者に伝えられるけど、その担当者がもっと別の人に伝えられるような動きをしてくれないと、ダメなわけです。そうなると、マーケットも必要だけど、20人位の少人数に伝えることも大事。その両方をやりながら、マーケットをいかに突破していくかも、やっていきます。両方意識していますね。

 

飛田:「瞬間」と「継続」ということで聞いてきたけど、多分、瞬間がないと継続は無いと思うし、継続だけでもダメだし、自分のパフォーマーとしての体力とかをキープするためには、カンパニーも含め投資しているということですね。

 

山田:そうですね。ヨーロッパだと、そこまで国がお金を出してくれるわけです。

だけど、環境の整った所に素晴らしい芸術が生まれるかというと、それもまた別で、ゴミの中に生き物が生まれてくるみたいに、雑多な中に不思議な生命体が生まれることもあるんですね。だから環境を耕し続けるということも大切ですね。

 

奥田:危機感があるから、魅力的な何かをやろうということになりますよね。

更に、僕は単に儲けるというだけは嫌で、楽しいかどうか一番重要です。僕の視点として楽しいかどうかを基に、どう継続できるかなんです。楽しくないことで儲けるとのは負けだと思うんです。魅力的なことをやった上で形になって、余計なものをもらった時点でダメになるから、継続できるお金になったら十分です。枯渇感や空腹感、ハングリー精神って大切ですね。満たされたら出来ないことって沢山ある。

 

 

<シルクスクリーンについて>

 

金森:奥田さんの新しいプロジェクトについて、お話を聞いてもいいでしょうか。

 

奥田:シルクスクリーンは、大規模な機械が必要か、もしくはプリントゴッコに近いものなんで、対極にあるどちらでも出来るんです。シルクスクリーンの版も、進化して何にでも印刷出来る画期的なものとして登場したんです。布の染って何が大事かって言うと、色が深く入ることです。これって、プリントゴッコでもできるんだけど、今、型屋さんに行くと、自分でやると満足できるものはできない。

 

飛田:学校では簡単に教えているけど、現場に行くと、プロフェッショナルが居るんですよ。

 

奥田:確かに、写真のようなクオリティも出来るけど、本当に難しくて、設備などが必要なんです。これまで、門外不出な技術で、外に出すことは誰もやらなかったんです。だけど、この型屋さんは、印刷がインクジェットが主流になっていく中で、シルクスクリーンの良さが皆に伝わらないかなって考えていたんです。僕がこの話を頂いた時、「車の中に版が乗るね」って話をして、皆で地方巡りして、製版してプリントしていったら楽しいねって案を出したら、色んな方が乗ってくれたんです。

それで、ドリフターズ・サマースクールで、これを使って何か出来ないかなと思いました。

瞬間と変化がダンスとファッションの中に込められている。シルクスクリーンは、何かを取らえる瞬間があるんです。ダンスとかもそういうのを捉えてとどめて外に出すんだと思うんだけど、そういう風に何か作れたらいいなと思って。それを利用して何かできないかなと思って。

 

金森:アルタカ株式会社さんというところが作っているんですよね。

 

奥田:枠の日本のシェアを握っている会社なんです。すごい技術力があって仕事のクオリティが高い会社ですね。

 

金森: 今回のDSSは、コース別というのを無くそうという話をしていたんです。その上で、「移動」をテーマにしようということになりました。

それは、ある劇場を何日間か押さえるというアウトプットを考えると、同一線上で意見交換する時に、どうしてもダンスの人が、最終ジャッジをするようになっていて、その構造を取り払える最終形態ってなんだろうと考えた結果なんですね。

移動しながら、発表するということにすれば、「舞台装置」ではなく都市の中でのたたずまい含めた建築的視点や、「衣装」ではなく、ファッションとはなんだ、という挑戦、などをとおして、それぞれの強みを活かせるんじゃないかと思いました。

そんな時に奥田さんのお話を聞いて、プリントするのは服に限らないわけで、布や固いものや紙といった多様な素材に、瞬間を定着させることができるし、色んなことを学んでいる人にも刺激的な発想のきっかけになるんじゃないかと思いました。

 

奥田:素人が表現するものは、プロフェッショナルが表現するものと比べて、編集したら面白いと思うけど、生のままだとそうでもないですよね。その差は経験と技術だと思います。このシルクスクリーンの技術は、生半可なものじゃないんですね。これが、素人も出来る技術だったらまったく面白くないけど、技術のベースがしっかりしている上に何か表現を乗せると、突拍子もないけど、それもいいじゃんってなる。表現の基盤がプロフェッショナルであるところがいいなって思ったんです。

 

飛田:今って、瞬間が大事な時代になってきていると思う。アルタカさんの技術もそうですし。感性ですね。感性と言うと難しくなっちゃうけど、楽しめるか、なんかやれよって言われてやれるか、自分の得意分野は何かを考えないといけないと思います。

ある意味豊かになってきているからいいこともあるけど、だから真剣になれることが薄まっている気もしています。FacebookやTwitterも一種の表現で、あそこで誰でも表現できちゃう世の中になっちゃったのが驚きです。あれって昔はラジオとか、限られた人にしかできないことだったのに。逆に薄まっちゃってきているし、昔よりも、身体表現の未知は広がっている。だから、各自が恵まれる状況をサバイブするためには、認識すべき何かがある。がっちりと、具体的じゃなくてもいいんだけど、気持ちにひとつもっているべき世の中になってきているのかな。

うんさんは、なんで踊っているの?きっかけは?

身体表現になったきっかけってどこかにあって、嫌なこととか苦しいこととかありつつ、続けて言って磨かれていくこともあると思います。でも、磨いていく格好が今、なくなってきちゃっているんじゃないかと思っていて。

 

 

<鋭くいる・取捨選択するということ>

 

山田:例えば、言葉を調べるときも、昔は辞書で調べて、すごく厳選され、編集された言葉に出会うわけじゃないですか。だけど、今は、簡単にネットでうすーい言葉が訳として出てくる時があるんですね。だから、軽い言葉で理解したりしなくちゃならない。鋭い言葉に出会うことが少なくなっていますね。私もFacebookやTwitterはやっていますけど、やっぱり誰かの薄い言葉に慣れちゃうと、自分の言葉も薄くなっちゃう。自分を鋭くしていないと、尖っているものに出会えないし、鋭い人とも仕事できないですね。

 

奥田:すごい大切なことですね。Twitterもブログも発表の位置が平坦で、あいまいなので薄いです。

 

飛田:でも、最近、基本的なことを知ろうと思うと、調べろって言われてしまいますよね。目の前の人と話すことで出てくることを知りたいからしゃべりたいのに。コミュニケーションひとつとっても、もっと話したほうがいいんじゃないかな。逆に、調べたいことを調べるときのネットの強さとか、すごいなと思いますけど。

 

山田:この前、中国に行ったんですけど、情報が色々ブロックされていました。大気汚染とネットで漢字を入れてもブロックされちゃう。英語でも出てこない。ひらがななら若干出てくるという感じでした。

それと同じで、英語で調べると結構出てくるのに、日本語で検索しても商業ベースに出てくることが決まっていることは沢山ありますね。だから、かなり知ることが制限されていることを知ったほうがいいと思う。そうなった時に、自分の伝えたいことは、いろいろある中で、濃く、強く、瞬間だけど無限の瞬間というか強さが必要なんだろうなと思います。

 

奥田:出会いとか本当に沢山あるので、どれが大切か見抜くのが重要になってくると思います。今までも重要だったけど、情報が雑多になりすぎているので、余分な部分を上手く切り落として、何が自分の感覚を鋭くしてくれるか、感覚の重要な部分だけにしていく必要があります。だから、表現者とか、何かをしている人って、ある意味贅沢だけど、選択できなければ何にもならないですよね。

 

山田:さっき飛田さんが言っていた、さらされている、なにかひとつ犠牲になっているというか、その状態がすごく面白いと思いました。何も失わないで到達することは不可能で必ず何かを失っていくということを、ものを生み出すときにどれだけ込められるかが重要ですね。

 

飛田:あまりにも満たされている中で、不自由な環境を作って、その中で何かを作るのは大変ですね。あえて、便利なものを抜きにして作るって言うのも貴重です。不自由だからやめちゃうんじゃなくて、オリジナリティを出す源泉ではあると思う。

 

奥田:DSSは建築・ダンス・ファッションとあるんですね。ファッションは瞬間をとどめたもの、ダンスは動いているものです。

実は視覚と聴覚で分けると、ファッションって視覚の部分、つまり写真で切り取っても成立する。反対に、流れでわかるものがダンスで、こちらは、ある1点だけ切り取ったら分からないですよね。視覚と聴覚のどちらでも成立しているのが言葉なんです。言葉は、文字にしていると、視覚的に見える。喋っている言葉を切り取ってもリズムをつけたら、分かる。時間と関係性がある。

脳みそって、視覚と聴覚の中間に言語があるんです。飛田さんは、視覚的なものであるファッションは、嫌だと思ってしまう。うんさんも、同様に逆を求めたがると思うんです。ダンスとファッションをからめる領域は、ぶつかりあいから何かが生まれると思うんです。その瞬間って、とても魅力的だし、難しいから突き詰めるべき場所だと思います。

 

金森: まさにその連続で、使う言語が違う人たちが集まるスクールですが、ファッションにしても建築にしても、「最終的に見えるフォルム」と「コンセプト」という二元の議論が共有トピックになりがちな中、プリンティングという途中プロセスをお客さんも共有するもの、として捉えなきゃならない、という状況には新たな可能性をかんじます。ファッションのように時間芸術と捉えられにくいものも、スクリーンプリンティングの制作プロセスの時間も含めて考えると、また違う見え方をしてくる。そこで新たなディスカッションも生まれるかな。なにかが、生まれるまでの時間、といった議題も、皆の話の中に上がってくるかも。すごく楽しみです。

writer profile

金七 恵 (きんしち めぐみ)
1992年生まれ 後楽園⇔神楽坂他 ドリフターズ・マガジン編集長