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歴史のはざまの乱丁の濁流にあるわたしたちの視線と身体について

歴史の天使 アイ・ラブ・アート12 写真展 会期:2012年8月4日[土] ~11月11日[日] 会場:ワタリウム美術館 〒 150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6 Tel: 03-3402-3001 http://www.watarium.co.jp 休館日:月曜日 開館時間: 11時より19時まで[毎週水曜日は21時まで延長] 入館料:大人 1000円 / 学生[25歳以下] 800円 ペア券:大人 2人 1600円 / 学生 2人 1200円 会期中何度でも入場できるパスポート制チケット (左記の写真:デュアン・マイケルズ 堕天使 1968年)
 

 

 

 

 

 

よく考えてみると「写真」というのは本当にユニークな存在でそこにカメラを置いてシャッターを切ると像が写り込む、像が写り込むということによって「写真」は視点の表象として受容されてしまうのだが、ではその視点が誰かの「まなざし」なのかというと、いやそれはカメラをそこに置いたからそう写ったのだとしか答えようのない存在である。

もうひとつ「写真」の逃れようのない性質として、像が静止しているというのがある。歴史をたどれば先行して絵画があり写真が生まれ映画になるが、文脈を忘却し、ただ媒介としての特徴の差異を眺めてみれば、映画は像が動いていて、絵画は像があいまい(抽象的)であり、写真は像が静止している。像が静止しているということによって「写真」は凝視を可能にした。

 

デュアン・マイケルズ
堕天使 1968年

「写真」を「見る」というのはどういうことなのだろうか。

たとえばここに1枚の肖像写真がある。

写真には青年が写っていて、画面を見るこちらをまっすぐに見つめている。

<わたしはこの青年のまなざしを「見る」>

この青年が見つめ返していたのは、いま写真を見ているわたしではなく、写真家でもなく、本当のところはカメラである。

カメラという装置とわたしの「見る」が同調している。

<わたしの「見る」はカメラと同調している>

カメラをそこに置いたのは写真家である。写真家はカメラを置き、ある決めた瞬間にシャッターを切る。

なぜその瞬間であり、なぜその場所においたのか。

<わたしは「写真」を「凝視」することで、意図を見ようと試みる>

人はなにを凝視するのだろうか。なぜ凝視をしていしまうのであろうか。

写真は四角いフレームに切り取られ、静かに止まっている。フレームに切り取られたことによって、世界はいくつかの関係性

の中で静止させられる。フレームの外側の世界とフレームの内側との関係性、フレームの中での写った像の関係性、写された瞬間とそれ以外の瞬間との関係性。いくつもの関係性が、静止することで出現している。

この写真独特の性質は「凝視」という行為を誘惑する。「凝視」によってある瞬間世界は関係性を転倒して、ギョッとするような別の関係性を生み出す。いままで言葉にもされていなかったような人間の性質や、感情の揺れ動きのあらわれを見出す。「凝視」は写真の意図を創造し、捏造し、あるいは解析する。「世界の凝視」をいざなう「写真」に多木浩二は、歴史の天使という主体を召喚したのだ。

 


ロバート・メイプルソープ
チューリップ 1984年

 

普通、写真の展覧会というと、被写体やモチーフへのテーマ、あるいは撮影手法の新しさの印象が前面に出てくるものが多いが、ワタリウム美術館で開催中の『歴史の天使』展は、解釈に共感していくような展覧会だった。多木浩二の「テクスト」によって「凝視」が導かれ、写真の本性がむきだしになった姿をかいま見るような体験がある。

鑑賞者を導くテクストは多木浩二が1996年に書いたもので、写真はルネ・マグリット(の死後に引き出しから見つかったという写真作品)、ダイアン・アーバス、マン・レイ、クリスチャン・ボルタンスキー、ロバート・メイプルソープ、デュアン・マイケルズ、Chim↑Pom、鈴木理策、と、写真家という枠組みにとらわれない興味深い組合せだ。

 

ヴェンダースにおいて、人間から姿が見えない天使は人間と直接コミュニケーションをとることができない。あらゆるものからほんの少しだけ遊離した場所から人間を凝視しつづけるが、決してまなざしは交錯することがない。おそらく多木は、このフィルムに登場する「天使の言葉」に「写真」の身体を発見したのではないだろうか。16年前は寺山修司の写真作品も展示され、写真の視線のゆくえと身体性の場所を問うような意図もあったに違いない。

 

本展では、16年前に多木が書き下ろしたテクストによって構成された。展覧会場に大きく書かれた多木のテクストは、書かれてから16年という歳月を経て、そして2011年3月11日という「歴史」の頁を越した今、強い批評性の磁場を帯びて、わたしたちに響いてくる。ヴェンダースの天使の言葉を媒介しないでもわたしたちの身体はもう歴史のはざまの乱丁のなかにある。

 

多木浩二こそが歴史の天使であったのであり、歴史のなかに登場することのない歴史について今のわたしたち以上に実感できる身体はないということを痛感させる展覧会であった。

writer profile

藤原徹平 (ふじわら てっぺい)
1975年生まれ。横浜国立大学大学院修了後、01年より隈研吾建築都市設計事務所勤務、同事務所設計室長を経て12年退社。08年より横浜国立大学非常勤講師、09年よりフジワラテッペイアーキテクツラボ代表、10年よりNPO法人ドリフターズ・インターナショナル理事、12年より横浜国立大学大学院YGSA准教授。国際的な活動をする建築事務所のディレクター・アーキテクトとして国内外で数多くの建築設計活動実績、国際コンペ実績がありながら、自分の事務所でも設立依頼積極的な設計活動を展開し、かつ、ジャンルを超えた建築家とクリエーターの対話シリーズの企画や、研究会、ワークショップ、教育の新しいメソッドの模索、など多様な活動を同時に展開している新感覚の建築家。