鳥公園・西尾佳織インタビュー
玉木:西尾さんは東京大学教養学部在学中に劇団「鳥公園」を立ち上げたということですが、それまでの経緯を教えて頂けますか。
西尾:中学校、高校と演劇部だったんです。でもその頃は照明や音響といった裏方や俳優で、作も演出もやったことがなかったんです。自ら書いたり作ったりなんてそんな大層なことは自分には無理だと思っていました。それで、大学に進学した時に、演劇は大好きだけどその他にもっとおもしろいことが色々あるんじゃないかと思って、劇団には入らなかったんです。だから在学中はぽつぽつとしか演劇に関わらないでいて、結局ずっと不完全燃焼だったんです。それが露呈したのが3年生の就職活動の時。出版社や映画制作会社を受けていたんですけど、面接のときに色々質問されても最終的には「あなたはつまり現場で作りたい人ですよね」って言われてしまって。多分煮え切れていないのが溢れ出ちゃってたんだと思う。それで観念して4年生の夏に鳥公園をつくって、その半年後の2008年3月に旗揚げ公演をやりました。
玉木:就職がうまくいかないから自分で劇団を作るってすごい飛躍ですね!
西尾:私いつもうじうじして構想期間が長いんですけど、一度決めるとエイヤって感じで急にやり出しちゃうんですよ。でも大学卒業後は鳥公園の活動をしつつ、同時に東京藝術大学の大学院にも通ってました。学部を出る時点で演劇をやっていきたいとは決めていたんだけど、「演劇で暮らす」というイメージがしっかり持てなくて、大学院にも身分を持っておこうと思って進学しました。大学院時代は鳥公園の他に乞局(コツボネ)という劇団に所属して俳優としても活動していて、3足のわらじの生活でした。でも私はそんなに器用じゃなくて、最終的には作・演出がやりたいんだというのが分かって、鳥公園一つに絞りました。
玉木:鳥公園は現在、西尾さんと俳優の森すみれさんの2人の演劇ユニットとしてやられていますよね。森さんとはどのように出会ったのでしょうか。
西尾:立ち上げのときに藝大に「劇団員募集」のチラシを貼ってて、それを見て連絡をくれて旗揚げ公演に出てもらうことになりました。今思うとよくあんなに手作り感溢れる怪しいチラシを見て、電話して来たなと思います(笑)。
玉木:2008年の旗揚げ公園「ホームシック・ホームレス」は、中野のギャラリーを会場として、観客が1,2階を自由に回りながら観劇する形で行われました。この時はどのようなことを考えて作品を発表したのでしょうか。
西尾:その時は大学で寺山修司の研究をした後だったので、彼の「現実と虚構の境を曖昧にするのだ」という思想にすごく影響を受けていました。観客が会場に到着したら開演ではなく「中野の駅で青いマフラーを巻いた人が待っています」とお客さんにメールして、駅で地図を渡して会場まで歩いているうちに、気がつかない間に劇が始まっているという形式です。私自身が演劇を観る際、心の冷たい客なんです(笑)。会場で席について幕が上がる前には「これから何見せてくれるんですかねっ」と上から見てる感じになってしまう。観客がもっと前のめりになれたらいいなと思い、こうした方法をとりました。でも最近は、やり方がどうであっても舞台の上はどうしても異境で、どうしたって現実とは違う場所だと感じていて、作品への入り方云々が関心ではなくなって来ています。
玉木:「ホームシック・ホームレス」もそうですが、上野の日本家屋で演じた「おばあちゃん家のニワオハカ」(2010)や、北九州の日本家屋に滞在制作した「ながい宴」(2012)、横浜BankART Studio NYKでの「小鳥公園#2 すがれる」(2012)など劇場ではない場所での公演も行っていますよね。このような空間のアイデンティティーの強い場所と、劇場との違いは何ですか。
西尾:劇場だと自由にでき過ぎて、私はいつも途方に暮れちゃうんです。演出家のやりたいことになんでも応えられるように劇場が作られている分、必然性は薄いなと思っていて。必要な設備はあるけれど、自分がやりたいことを持ち込まないと何もない状態で、それがきついなと思うこともあります。こういうと語弊があるんだけど、私は先に自分のやりたいことってあまりないんです。もう出来上がっている空間の必然性に私たちが入っていく方がうまくいく。空間の構造に寄り添っていく感じです。
玉木:“空間の構造に寄り添った”具体的な演出を教えてもらえますか。
西尾:例えば、横浜BankART Studio NYKで「すがれる」を上演した時は、物事が風化していくというテーマの作品だったので、一つの役目を終えた雰囲気を持った場所が良いと思って、会場を選びました。でも音が反響し過ぎたり、大きな柱で見切れたりっていう問題もあり、それがポジティブな要素にならないと負けだと思って。そうなると燃えるんです、私(笑)。最初、男女の喧嘩のシーンから始まるんですけど、全部台詞が聞こえなくても大体こんなこと言ってるというのが分かれば良いと思って空間の反響を利用しました。何回も喧嘩の台詞を繰り返しているうちに、最初は女の人が優勢なんだけど、途中で気が付いたら立場が逆転してて、男性の方が優位に立ってる。全部がクリアに聞こえ、逆転の瞬間がはっきり分かってしまうんじゃなく、たらたらと喧嘩を繰り返してるのが何となく聞こえて、気が付くと物語が少しずつ進んでる。喧嘩のシーンは元々あって始めは台詞を全部聞かせようと稽古してたんですけど、それを捨てた方が空間の特性が生きると思って、途中で変更しました。
玉木:鳥公園は鳥取の鳥の劇場だったり、北九州だったり、地方都市でも公演を行っていますよね。東京と地方公演の違いはどんなところでしょうか。
西尾:初めて東京以外でやったのが2009年の鳥取・鳥の劇場での「家族アート」再演でした。その時はお客さんがすごく飢えていると思いました。文化的なものが少ない環境の中で、すごく一生懸命観てくれる。そういうところで上演できるのは有り難いし嬉しかったです。東京だと飽和していて、1回おもしろくなかったら、すぐ見放される。それはそれでいいとも思うんですが、つまらないと判断したときの素通りの仕方が強い。もしかして見方が違ったら実はおもしろいという可能性もあって、それは東京の不幸なところでもあると思う。でもそうなったときにどこに合わせて作品を作るかというのは、作り手が選べると思っています。そういう意味でも東京以外の色々な地域でやっていきたいです。
玉木:もし、何の制約もなかったらここでやってみたいという場所はありますか。
西尾:野外でやってみたいなと思います。例えば湖がある場所。最初はお客さんが湖の円の反対側にいて、すごく遠くで何か演じているけれど、よく聞こえなくて、延々近づいてくるのを待たなければいけないという状況。普段だったら早く良い所見せろよって短気になるんだけど、湖が大き過ぎてあれだけ遠かったら仕方がないよねって思えるのは、おもしろいですよね。環境が必然性を持っているおかげで、いざ堪えるしかないという状況になって初めて出てくる楽しみはいっぱいあって、そういうものを作りたいです。
玉木:作品をつくる上での最近の関心を教えてください。
西尾:今年9月に上演した「蒸発」は、モリちゃんという女の子が、オナニーしてる隣の男ヒロキを覗いてて、それを実況中継しているうちに、だんだん彼の言葉を代弁していくという作品です。それまでは、「家族」や「学校」など、一度自分自身を経由して実感があることじゃないと自分は書けないと思っていましたが、この作品は、全然理解できないし理解したいとも思えない他者について書きたいという動機で作りました。それはモリちゃんが覗いている隣のヒロキだったり、覗いてるモリちゃんと同居してるノヅちゃんにとってのモリちゃんだったり。一緒に住んでいて、そこそこ楽しくお喋りしていると思ってたんだけど、段々受け入れがたくなっていき、隣に意味の分からないやつがいる状態になることを描きたいと。でも覗いている先のヒロキの様子が分からなすぎて困りました。男性がどうやって自慰行為をしているのか分からないし、そんなに理解したくもないし(笑)。稽古が始まってもそこの部分に関して台本が空白の期間が結構長かったです。
玉木:それはどのように克服したのですか。
西尾:色々な人にインタビューしたり、稽古場でみんなでアダルトビデオを見たり(笑)。自分の好きなこととか、切実にそうだと思えることって、お客さんも「分かる分かる」と言う共感の回路でしか観られない。でもそれって結構まずいことだと思ってます。ぐっときた、きゅんとした、となっても何にも意味がない。一瞬癒されるかもしれないけど、それって生きていく上での何の糧にもならない。普段暮らしている中で、作品を作る人も作らない人も「やりづらい」「生きづらい」と思うことがあるはずだけど、それに通じることができないと意味がないと思う。でもそれには理解してて心地良いことや、自分にとって切実なことだけの世界だと狭すぎて、分からないことをどうやって描いていくかというのが最近の関心です。
玉木:「蒸発」が公開された東京芸術劇場主催のイベント「God save the Queen」は5名の女性若手作家の作品をオムニバス形式で上演するというものでしたね。
西尾:今更女性を集めてどうするのという批判もあると思うけれど、そう感じる人も観れば分かると企画コーディネーターの徳永京子さんとも話していて、それは意味があることだと思います。でもプロモーションで、女性作家5人がポーズを決めた写真を前面に出したりして。嫌だったわけではないんですけど、それに対する反骨精神とでもいうのか、普段はそんなに扱わない下ネタのような部分が強く出てしまったところがあり、それは影響を受けたと言えるのかもしれません。あと、他の劇団は何をするのだろうと意識するところはありました。その結果、ゲネの日に他の団体を初めて見て、すごく「狭いな」と思った。自分も含めて集められた5団体がやり方やはかなりバラバラなんだけれど、テーマなど似ている部分があって、それは少し残念でした。今の東京の女性の作り手が切実だと思える範囲はココなんだという現実が晒されて、ある意味残酷だなと。でも女性作家だからではなくて、それはもし若手男性作家という企画だとしても変わらないと思います。みんな狭い自意識で身近なこと、寂しさとか孤独とかが出てくるんじゃないかなと改めて考えて、危機感を覚えました。
玉木:現在、三鷹市芸術文化センター星のホール上演中の最新作「カンロ」について見所を教えてください。
西尾:「カンロ」は「蒸発」の未来の話として位置づけています。出演する俳優は過去最多の7人で、会場の規模も大きく、試行錯誤しました。この作品では「報われるとは何だろう」ということについて考えてます。よく努力が報われたとか言うけれど、じゃあ結果が出たら報われて、結果が出なかったら意味がないのかと疑問に思ってて。普段はどうしても自分が頑張った分誰かに認めてほしいとか、それが地位や名誉になって欲しい、ならないと意味がないという価値観で生きてることが多く、それはすごく卑しいと思ったんですね。綺麗ごとかもしれないけど、全力のエネルギーを出せることって滅多にないし、その対象に出会えることも一生のうちに起こるか分からない。全力を注げる対象に出会えた幸せに目を向けるべきなんじゃないかと最近思ってます。本当はもっと頑張ってるのに私って報われないって思うのではくて、喜びベースで自分が生きられたら良いなと。そういうことを考えながら「カンロ」を作ってます。
玉木:西尾さん自身は現在、若手作家という立ち位置だと思いますが、現状に対する危機感を強く持っている印象を受けます。今後挑戦したいことなどあったら教えてください。
西尾:現状は、公演をしなければならないということに追われ過ぎているなと思っています。もう少し腰を据えてやりたいと作り手としては考えていて、来年は1個の作品を1年掛けて作りたいと計画してます。と言っても、途中で中間発表やワークショップをしたり、それが一緒にやる俳優を育てることにもなるし、そこに観客に立ち会ってもらって初めて分かることもある。公演とは違って作りかけの生半可なものだけど、観客がそれに触れる喜びもあるのではないかと。そういうことが作り手も観客も育てることになるのかなって思っています。それと、作品から離れた演劇に関するワークショップとか勉強会などをやれたらいいなと考えています。
玉木:それは東京ベースですか。
西尾:稽古場所のメインは東京だし、東京でも発表はするけれど、できるだけ色々な場所でやりたいです。中間発表の時点でからツアー公演にしたいなとか考えています。後は調査旅行に行きたい。今、日本は中心が空洞だなと思っていて。東京中心主義みたいなのができたのって、明治より後で、それまでは自分は何藩の人間だという違う帰属意識で生きてて、その頃はきっとそれぞれの場所に異なる歴史的な縦糸があったと思うんです。もしかしたらその縦糸が他の地域には現在も残っていて、その辺りを知るための調査旅行に行きたいです。東京で自分の家にいて頭だけで考えるだけではなく、もう少し違う作り方を来年はやりたいと考えています。
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西尾佳織/1985年東京生まれ。作家・演出家、鳥公園主宰。幼少期をマレーシアで過ごす。東京大学表象文化論科にて寺山修司を、東京藝術大学大学院にて太田省吾を研究。2007年に鳥公園を結成以降、全作品の脚本・演出を担当。また鳥公園の活動と並行し、07年~10年には劇団乞局(コツボネ)に俳優としても在籍。現代美術など異分野の作品にも参加している。
鳥公園/2007年7月結成。作・演出の西尾佳織と俳優・デザインの森すみれによる演劇ユニット。「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。生理的感覚やモノの質感をそのままに手渡す、詩的な言葉と美術、独特のテンポと間合いで生きる、どこか間抜けでチャーミングな俳優たちが特徴。11年3月、鳥の劇場(鳥取)にて二週間の滞在制作。同年10月、『おねしょ沼の終わらない温かさについて』でF/T 公募プログラム参加。12年2月、『すがれる』が大阪市立芸術創造館主催の芸創 CONNECTvol.5にて優秀賞受賞。同年9月、『待つこと、こらえること』が広島市現代美術館「ゲンビどこでも企画公募」で粟田大輔賞受賞。また同作品にて、3331EXPO「おどりのば」スカラシップ受賞。同年12月にはえだみつ演劇フェスティバルに参加、築76年の日本家屋に2週間滞在し、『ながい宴』を発表。
→鳥公園ウェブサイトはこちら
writer profile
編集者修行中。1986年生まれ。横浜国立大学大学院修了。建築系出版社に勤務しつつ、興味の向くままそこかしこに出没。