狩野佑真インタビュー
金七:今日はよろしくお願いします。さっそくですが、最近、六本木ヒルズART&DESIGN STOREで販売がスタートした「電球の一輪挿し」は学生時代に作ったんですよね?
狩野:そうなんです。大学の課題で制作したんですが、当初から「売る」という目的をもって作ったんです。社会的には、学生という肩書きだけで舐められる部分もありますよね。それが悔しくて、課題で作ったものがそのまま世の中で販売出来るレベルになるよう意識して作りました。そうすれば自然とクオリティも高くなりますしね。でも当時は作っても実際にどう売ればいいのか分からなかったですね。大学卒業後に元電球製作会社で今はガラス製品を作っている企業さんとの商品化の話もあったんですが実現化しなかったんです。それが今年6月に発売されたので、当時の思いが現実になって本当に嬉しいです。
最初は、日本橋三越のグローバル・グリーン キャンペーンという企画で2週間限定で販売し、その後六本木ヒルズのART&DESIGN STOREで継続的に販売しています。初期納品分が3日で完売し驚きました。
金七:手作業で1つひとつ作っているから、大量生産はできないんですよね?
狩野:そうなんです。パッケージも手作りで、電球に1つひとつ手作業で穴を開けて制作しています。なのでガラスが割れてしまうこともありますね。最近は穴を開けてる最中に「このまま進めたら失敗する」とか分かるようになりました。笑
金七:ほかにも、学生時代に思いついたアイデアはどういったものがあるんでしょうか?
狩野:スポンジのiPhoneケースも学生の時に思い付きました。思い付いたのはいいけど、やってみるとスポンジを切るのが意外と難しくて、でもそれなりにクオリティを高めようと色々な大きさや硬さのスポンジを買って試しました。ただ、冗談半分で作ったんで当時は誰にも見せず1人で満足してました。笑 もちろん充電もきちんと出来ます。
あとは、ホースで作った椅子ですね。曲げ木の椅子ってあるじゃないですか。その曲げ木のカーブがホースっぽいなと思ったり、よく店先の花壇の横にホースが丸まっていることがありますよね。その先をたどって行くと椅子になっていたら面白いな、といった所からひらめきました。これは2011年のデザイナーズウィークで発表しました。もちろんきちんと座ることが出来ます。
金七:いつも、作品のアイデアはどこから思いつくんですか?
狩野:素材から思いつくことが多いかもしれませんね。
例えば、「スポンジのiPhoneケース」の場合、スポンジを名前の決まっていない材料として見ています。「柔らかい何か」と捉えていますね。そういう風に色んな物のことを見ていることが多い気がします。
金七:大学卒業後、鈴木康広さんのアシスタントをされていたそうですが、どういった経緯でそうなったんですか?
狩野:僕が大学在学中、大学の先輩だった鈴木さんが特別授業に来たんです。その時に、プロジェクトのお手伝いを募集していると言っていて、それで手伝いに行ったのが最初のきっかけです。そのプロジェクトが終わった後も違うプロジェクトを手伝っているうちに、アーティストってどうやって生きているんだと疑問を持ち、自分も作品を作って生きていこうと決めたので、そういう思いもあって卒業後はアーティストである鈴木さんの正式なアシスタントになりました。
金七:アシスタントとしては、どういったお仕事をされたんですか?
狩野:ちょうど、僕がアシスタントになった年の秋に鈴木さんの故郷である浜松市で個展をやることが決まりました。ただ、会場である浜松市美術館にキュレーターがいないという状況で…。なので、展示の会場構成から設営方法、キャプション、展示する作品制作などまさに0から鈴木さんと一緒に考えたりしました。それが1番大きなプロジェクトでしたね。そのプロジェクトを通して浜松の同世代のクリエーター達と知り合ったりもして、浜松での展示が終わったあともそのメンバーとまた違うプロジェクトを始めたりと、いまだに関係が続いています。すごく面白くもう二度と出来ないような貴重な経験でした。
ただ、アシスタント時代は当然ですがなかなか自分の制作時間も取れなかったんです。それで、自分の活動も本格的にやりたいと思って、早いと思いましたが1年経ったところでアシスタントはやめました。今はプロジェクトごとに関わっています。
金七:アシスタントがひと段落してからは、どのようなお仕事をされたんですか?
狩野:ちょうどタイミング良く、知り合いの方から部屋のリノベーションの仕事をいただきました。純和風な和室が誰も使っていなく物置化してしまっていてどうにかしたいという依頼でした。住宅の空間を扱うのは初めてだったのでいろいろ悩んだ結果、自分の思い描いている空間感覚と実際の空間を把握するためにも、業者に施工を依頼するのではなく全て自分でやろうと決めました。寸法計測から掃除、解体、施工、家具も作って・・・と大変でした。完成までに半年位かかりましたね。それを許していただいたクライアントに感謝です。
金七:お話を聞いていると、狩野さんは住宅のリノベーションや、プロダクトを作るなど作品に幅があるように思います。ご自身はどう考えているんでしょうか?
狩野:そもそも、大学での専攻が「室内建築」といって建築からインテリア・家具など生活空間を中心に学ぶ専攻でした。なので、大学時代からインテリアからプロダクトまでわりと幅広くやっていますね。作品の幅ということであれば、実は、ロゴを作ったり、グラフィックの仕事もしたことがあるんです。だけど、さすがにそれは「自分がやることじゃない」と悟りました。笑
金七:卒業後、どこかの企業に就職したりすることなく、最初から独立したことに対して、不安は無かったんですか?
狩野:迷いは特に無く、就職については全く考えなかったですね。確かに、企業でデザイナーになるというのもすごいことですけど、そこに対しての憧れはなかったんです。就職したら自分の作りたいものが作れなくなってしまうんじゃないかとなぜか思いました。そんな考えの人なんて絶対に雇ってくれないだろうし。笑 それに企業で何かを作っても、自分の名前は出せないというところにも違和感を覚えました。変に我が強いというか自己顕示欲が強いというか…。自分の名前で勝負していきたいと思っていました。まったくの無名なのに…。
金七:今日、お話を伺っている狩野さんのアトリエも、造船所内にあるんですが、ここに構えることになったきっかけはなんだったんでしょうか?
狩野:いざ活動しようと思っても自分のアトリエが無いので、作業する場所をどうしようか悩んでいた時に、ここの造船所の方と知り合いになったんです。アート好きな人で、美術館とかをサポートしたりしている方なんですが、その旨を相談して空いている部屋を貸してくれることになったんです。事務所兼自宅というか、作業場の中に布団だけがあるみたいな環境です。朝起きて2秒で作業に取りかかれるので僕にとっては最高の環境です。笑
最近では、時々造船所の仕事を手伝ったりもしています。手伝い始めてから職人さんと仲良くなりました。以前は「こいつは何者だ?」って感じでコミュニケーションがなかったんですが、自分も物作りをしている人だと分かってもらえて、良い関係が出来つつあります。
金七:最後に、最近の作品や、今後について教えてください。
狩野:近頃、「枝」に興味があって森まで実際に取りに行ったりしています。でも、枝は扱いが難しいですね。生ものなので、形などもコントロールできないですし、放っておくとカビが生えたり、同じデザインのものは無いし・・・。いろいろ考えていてプロトタイプを実際に作っているところです。それから造船技術を活かしたプロダクトもいつか作ってみたいですね。日々職人さんの技術を観察しています。
作品に関して一貫して言えるのは、自分が作ったモノを誰かが「使う」のではなく「体験」してもらいたいなと思っています。例えば、椅子を作ったら座り心地などの使い勝手の良さや機能性を重視すると思いますが、僕はその機能性を超えた機能を持つモノを作っていきたいと思っています。あるだけでその場が変わるような作品を。
あとは、ウェブサイトに掲載している作品もだんだん古いものばかりになってきたので、きちんとウェブ周りを整えてしっかり情報を発信していきたいと思っています。楽しみにしていてください。
狩野佑真/1988年栃木県佐野市生まれ。東京造形大学を卒業後、アーティストのアシスタントを経て2012年春にデザイン事務所「studio yumakano」を設立。
「モノ」が空間に与える影響を考察し、建築・空間・家具・プロダクトを中心に「日常への視線」を大切にしながら、自身の体験や発見を作品に落とし込む。
デザイン・アートなどのカテゴリーに捕われることなく様々な形態で作品を発表。主な作品に「50m Chair」「Little Architecture」「kutool box」など。
公式ウェブサイト→http://yumakano.com/
writer profile
1992年生まれ 後楽園⇔神楽坂他 ドリフターズ・マガジン編集長